幻の食材、凍(しみ)こんにゃくの歴史


幻の食材「凍(しみ)こんにゃく」の歴史を紹介します。

この「凍こんにゃく」は*木村謙次が丹波の国(京都・兵庫)から寛政7年(1795年)に天下野高陽(こうよう)
(現常陸太田市天下野町)の根本喜兵衛に伝えたとあります。(参考:水府村村誌)凍こんにゃくには厳冬期の
寒さで夜は凍り、昼間は解ける自然環境が必要です。この自然環境が丹波の国と天下野町が似ていたのです。
その後、茨城県常陸太田市天下野町(旧、水府村天下野)では昭和の初めにはは50軒くらいの農家が冬
の農閑期を利用して「凍こんにゃく」を作っていました。しかし戦後、厳冬期の重労働と高齢化で一軒一軒と
消えていき,1984年 (昭和59年)には、近くの農家で作るのみ,全国でも一軒になっていました。
その一軒の農家も高齢で来年は作らないと聞きました。そこで地元の伝統食であり、
「幼いころのからのご馳走をなくしちゃならん」と50代から凍こんにゃく作りに手を染めました。
本業の「蒟蒻」製造の技術を生かして「凍こんにゃく」作りを開始しました。しかし数年間は失敗の連続の繰り返しで、
「失敗」を先生として励んでまいりました。その時点、1985年には全国で私ども一軒になってしまいました。 
現在は隣の大子町でも作る人がでております。
ぜひ、この珍しい湿気を避けると50年以上保存できると言われる「凍こんにゃく」をご賞味ください。
いろいろな料理に使えます。

「凍こんにゃく」のホ−ムペ−ジを作った2003年には全国で一件も「凍こんにゃく」や「凍みこんにゃく」では、
検索に掛かりませんでした。その意味で、この「凍こんにゃく」でのカテゴリ−では日本最初のHPになります。

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木村謙次(1752-1811)とは


宝暦二年(1752)天下野の八左衛門昌尚(まさなお)の第四子に生まれた。謙二は常に意を殖産興業に注ぎ、
諸富野(もろとの)現、久慈郡山方町・高倉地方の重要産物であるこんにゃく栽培の発展に力を尽くした。
かつて関西地方に遊んだ時丹波の国(京都・兵庫)でしみこん製造が盛んに行われていることを聞き、
立ち寄って親しくその製造販売の法を調査して帰り、寛政七年(1795)、これを天下野高陽(こうよう)の
根本喜兵衛に伝え、ますます改良普及に努力したので世の賞賛を博し、同地方の一大特産物として栄える
に至った。(水府村誌 P。557引用)
文化二年(1805)の高倉・東両村の「地理書上帳」には産物の中に氷蒟蒻を記している。(水府村詩 P.292引用)
「高倉郷土誌」によると明治40年(1907)の旧高倉村における凍こんにゃく製造農家は14,15件とみている。
(水府村誌 P.390引用)

木村謙次はエトロフの探検家としても有名です。
木村謙次HP:

以下の写真は木村謙次の生誕の地や墓は当方から300mくらいの位置にあり、最初に「凍こんにゃく」が伝えられた
根本喜兵衛氏の天下野高陽は同じ町内で500mくらいの位置にあります。既に「凍こんにゃく」は天下野町内に
伝えられて多くの先人の努力により250年以上の歴史があります。

木村謙次の墓 (常陸太田市天下野町) 




水府村発行(現常陸太田市)「水府村誌」 
昭和46年3月31日発行


凍こんにゃくは先人の考えた究極の保存食


この写真の凍こんにゃくは下高倉の井上伊佐雄さんが昭和23年
(1948
年)に製造したものです。
既に60年経っていますが、美味しく食べられます。
先人考えた究極の保存食です。いわゆる「60年凍こんにゃく」です。


凍こんにゃく畑 (冬と秋




朝、こんにゃくが凍っています。(写真 2008年1月2日)


  

厳冬期、凍ったこんにゃくを一枚、一枚返している
    



  
         中嶋商店の商品の紹介
              
詳しくは下の1-5の番号をクリックしてください



凍こんにゃく (1)

さしみこんにゃく
(2)


きなこ( 3)


秋、竜神大つり橋      冬、田んぼの一面の

            8月6日の田んぼの様子。(トマト)
          

            
凍こんにゃくを作る田んぼでは農薬を使わず自然の中で
お米を作っています。ここで冬、凍こんにゃくが作られます。
凍こんにゃく(季節の風景)(4)


        

料理のペ−ジ
料理のペ−ジ参考1(参考例)(5)



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